創業150年、変わるものと変わらないもの
アルプスの山々に囲まれたのどかな田園地帯に根ざす蔵
家族総出で原料処理から搾りまで、工程のすべてを手作業で。ただ旨い酒をつくるため、自然と向き合い、酒と向き合う。
樹齢150年のハンノキに見守られ、歴史は巡る
長野県のほぼ中央に位置し、県内随一の交通の要衝である塩尻市。北アルプス、中央アルプス、東山・高ボッチ山などの山々を背景に、のどかな田園風景が広がる町だ。市内の観光名所でもあり、全国的に有名な奈良井宿は、かつて中山道で最も栄えた宿場町。現在も当時の趣を残した南北約1kmの風情ある街並みには、国内外問わず多くの観光客が訪れている。
塩尻駅から車を5分程走らせると眼前に広がる田園地帯。まん丸の杉玉とそれに寄り添うようにそびえる樹齢約150年の榛の木(ハンノキ)が丸永酒造場の目印である。
丸永酒造場はその榛の木が植えられた時と同じ頃、明治4年(1871年)に創業された。しかしそれは記録に残っている限りのことで、おそらくそれ以前から酒をつくっていただろうと、5世代目かつ7人目の社長であり、現在は杜氏も務める永原元春氏は言う。「江戸の頃なんてね、わからないですから。元はお米が集まる庄屋だったらしいので、おそらくその頃から酒づくりが始まっていたかもしれませんね」(永原氏)
広い敷地には修繕しながら使われている年代ものの建物があり、また年月や生産量と共に増築や増設をおこなった箇所もある。仕込みタンクが収納されている蔵の梁には“昭和27年”の文字が見えた。時代と共に少しずつ変化していった形跡は、歴史の重みを感じさせる
かつては従業員や近所から来てくれる手伝いの方もいたが、現在は永原氏と妻、息子、母の4人の家族総出で酒蔵を切り盛りする。多くの酒を醸造することはできないが、目指すのは小規模な酒蔵だからこそできる真心を込めた酒づくり。
趣向を凝らす、その手間を惜しまない
酒はその時々で自在に味が変わるものだ。気候による米の出来、麹の種類など、その条件を挙げればキリがない。
水もそのひとつ。丸永酒造場では塩尻市の水道水を活性炭濾過して使っている。「かつては地下水を使っていたので井戸も2本あるのですが、この辺りの地下水は硬度がかなり高いんですね。以前は硬度が高い方が酵母が繁殖し安全に醸造できるということでしたが、今は衛生面も技術面も含め、水道水でも問題ないと判断したんです。塩尻は木曽から来る奈良井川が水源となっており、水質もいいですしね」(永原氏)
地下深くからの水は温泉のように鉄分が多い水が湧き、酒には向かない。浅い井戸ならば酒づくりに適しているが浅すぎると地中に染み込んだ農薬など影響が出てくる。それならば美しい水源を持つ水道水の方がリスクが少ないのではないか、と永原氏は考えたのだった。
また今年で言うと、2023年夏の猛暑により硬く育ってしまった米を溶かすための工夫にも余念がない。麹の具合を調節したり温度を調整し水分を調整したり、試行錯誤を繰り返しながら今年の酒づくりと向き合っている。
取材があった日は、樽の中の酒の温度を0.5度上げたい、と永原氏が言っていた。冷えた酒蔵の中で、蒸し器から湯気がもうもうと立ち込める。蒸し上がった米を家族総出でほぐし、風を送りながら冷やしていく。このとき、温度計は使わない。手のひらから感じる熱でだいたいの温度はわかるそうだ。適温になった米を樽へ移し、この作業を10回ほどくらい返し蒸し器が空っぽになった頃、樽の温度はわずかに上がった。
大吟醸や純米大吟醸といった酒は、消費者側の好みもあるし、品評会での入賞を目指すならなおさら、流行を知り、味を変えていく必要がある。「安定したお酒っていうのは絶対できない。大吟、純米大吟っていうのは味が安定しなくて当たり前のものなんですよね。好みも変わるし、品評会に入るテイストも変わってくる。杜氏が集まる研修会などで情報交換をしたり、講演会を聴きに行ったりして新しいトレンドを仕入れ、毎年試行錯誤しながら味をつくっていきます」(永原氏)
逆に変わらずにあるものは地元の人に長く愛されてきた普通酒。それは、ひと口飲めば「高波の味だね」とお客様に言ってもらえるような味。作り手が変わっても先代が作り上げた味を忠実に守り続けている。
「あと変わらないものといえば、麹ですね。酒は麹で決まると思っているので、麹づくりには妥協せずこだわっています。品評会に出すものは、今の流行りを勉強しつつ麹づくりに励み、今年の味を決めていきます」(永原氏)
旨い酒を味わってもらうために
今後は導入した急速冷凍機をつかった『Frozen高波』をさらに広めていくことを目標としている。しぼりたてをマイナス30度で急速冷凍すると、香りと味わいがそのまま維持され、何年経っても変わらない風味を味わえるそうだ。急速冷凍すればアルコールと水が分離せず凍るため、溶ける時も同じ濃度で溶けていく。そのためどの状態で飲んでも濃さが変わることはない。「酒はマイナス13度くらいで溶け始めるのですが、凍った酒が口の中でふわっと一気に温まったときの風味はガツンときますよ」(永原氏)
現在丸永酒造場は、シンガポールに『高波』を輸出している。地元で知り合ったシンガポール人の画家との出会いがきっかけとなり、今ではさまざまなレストランやお店で『高波』を手に取ることができる。シンガポールオリジナルのラベルは、その画家による絵を切り取った。華やかで美しい絵と共に箱推しの『高波』がきらりと光る。これからはフランスのレストランに卸す計画もあるようで、少しずつ、一歩ずつその幅を増やしていきたいと語った。
けれども、きっと、丸永酒造場のポリシーはこれからも変わらないだろう。小さな蔵だからこそできること。それを心に留めながら、今日も酒をつくり続ける。